コロナが流行りだし、生活に影響し始めた4月始め、私は家の引越をした。
そしてあれよ、あれよと、世の中の状況、仕事、生活環境ががらりと変わり、
体調にも異変が………
まず食欲がわかず、大好きなビールを飲みたいとも思わない。
新緑の季節、お家時間がたくさん!
旨いつまみを作ってビールをダラダラしながら堪能したい!
と不調と戦っていた。
ほんのり回復してきた今、いろいろ考えたことを綴ってみたいと思う。
最初の頃は、仕事は在宅、外に行くのはスーパーや薬局くらい、
たまに犬の散歩。マスク必須!
人生でこんなにもおこもりになったことがない。
友達や家族とはネットでつながれるのでそんなに苦ではなかった。
何がそんなに体調も気持ちも落ちてしまったのか、
普段の生活をつらつらと思い返すと
自分では気づいてなかった“無意識の私時間”が存在した。
自分が行動しているから、自分の時間なのだけど、
意識せずにやっていたことがあった。
これをやらないと死んじゃう!とまではいかないが、
私にとっては必要な時間だったのだろう
というものがぽっかりと無くなってしまった。
そのひとつに“ちょっと寄り道”がある。
ちょっと本屋に寄り道して、本や雑誌をチェック!
ちょっとミニシアターでひとり映画
ちょっとデパ地下で美味しそうなものをチェック
ひと駅手前で下車してちょっとウォーキング
カフェで本読んだり、勉強したり、仕事の続きをやったり………
自粛生活になってから、これらは一切カット。
もちろん非常時には、省かれる行為で私も異論なく即実行。
がしかし、
自粛が続き、体調も心の調子も思わしくないとなると、
なぜ?なぜこんなに悶々するの?
と考えることが多くなった。
生物として行きていくには、まず食べること、寝ること、
健康であることが重要で、余暇や心の余裕はあまり含まれない。
だけど、人として生きるには+αの”ちょっと”要素が必要で、
私にとっては“ちょっと寄り道”がそうだったのかもしれない。
“ちょっと寄り道”という名の私時間だったのかと思う。
絶対にこれがやりたい!!ということではないけど、
自分で選択して、自分で行動する自由さがそこにはある。
それは空気みたいなもので、普段は気づかない。
だけど、誰かにとってはなくてはならないものの存在。
穏やかな心と体で生きて行く為に必要なことって、
実は世の中にたくさんあることに気がついた。
それはひとりひとり違う。
ある人は音楽やアートであったり、友達との遊びや家族と過ごす、
仕事を一生懸命するなど、いろいろある。
みんなそれは、ひとつだけじゃないはず。
私たちは特別なイベントの為に生きているわけでなく、
スペシャルな時間じゃない、
毎日の小さな出来事、時間の積み重ねの中で生きている。
それがまったく出来なくなると、こんなにも体に影響するのかとしみじみ体感した。
それが出来なくても生きていけるけど、やっぱりそれがまったくできなくなると
精神的なダメージが大きい。じわじわ体にも影響してくる。
私たちのワークショップもイベントなので非常時には省かれるもののひとつ。
これは当たり前。
だけど、私が寄り道を自分の生活の一部分で、実は大切な時間だったように、
私たちのワークショップも誰かのそんな一部分を担っていたらいいな、
そんな存在になれたらいいなと思った。
絶対に必要不可欠ではないけど、たまに会って挨拶を交わす、何かを無心でやる、
新しい発見をする。特別なことではなく、誰かの生活の一部分のような存在。
そういう存在になれたらうれしい。
ウィルスは消えるものではないから、上手に付き合っていくしかない。
私たちはこの数ヶ月で学んだことがたくさんある。
ウィルスと上手に付き合いながら、
みんなが自分の生活を楽しめる方法を見つけていけたらと思う。
コラム文:粕谷幸絵
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