私は出産後に会社都合で復職できなかった経験から、それ以降考え方を180度変えて子どもと一緒に仕事をするとどうなるか?を6年間実践&研究しています。基本的な時間設計として、一日の時間を私の時間(主に仕事)と子どもの時間(遊び)にわけます。家族の時間をエッセンス的に加えながら、私の時間と子どものための時間の使い方を日々試行錯誤しています。
具体的には、私は産後半年くらいから子どもを保育園には預けずに仕事を再開し、子どもを傍らに置きながら、とか子どもをおぶって打合せなどをし(私の時間)、その後は子どもと一緒に公園等の遊び場に連れていくなど(子どもの時間)、これまでのほぼ全ての日がこのバランスで成り立っていました。
このコラムでは、そんなワークライフを送る「わたし自身の定点観測シリーズ」として、日常の様々なことをきっかけに自分を掘り下げてみようと思います。
初コラム執筆に際し、当初は子どもの臨時休校に伴う家での過ごし方を書こうと思っていました。それは、子ども(6歳男児)が数年前に会社からもらったソーラーカーを何日もいじくり回して、いろんな実験を自分なりにしていたことに感銘を受けたからです。すごい!こんな子どもが夢中になるような道具をセレクトするなんてさすが我がasマテリアルだ!と鼻息を荒げてコラムに取りかかろうと思考を続けてみると…不思議な思考・感覚がむくむくと湧いてきました。
さて、私はこれがお店の棚に置いてあったら手に取って買い与えただろうか?いや、今の私は買わないかもしれない。自分は子どもとの家の中での過ごし方に頑として譲れない何かがあるのだろうか?と考え始めました。
私は何かを買い与えるよりも、体験を与えたい。それが有料でも無料であっても。しかし、それができない場合は何かを買い与える。その場合は、使い方や作り方が決まっているものではなく、いろいろなバリエーションで使ったり作ったりができるような体験に重きを置いたものにしたいと考えているよう。それは子どもの思考を育てるという教育面よりも、できるだけ自分で遊ぶことを促したいと、できれば自分で遊びをクリエイトしてほしいという想いが私の場合は強いのでしょう。
今思えば生まれてから幼少期までの6年余りは、子どもが「自発的に夢中になり、自立して遊んでくれること」を追求した期間でもあったのかもしれません。1歳から一都三県の公園に毎日のように通い、室内の遊び場、博物館、科学館、水族館もマンスリーパスや年間パスを購入し通いました。今思えば当然なのですが、2歳くらいの時に全く遊ばない場所もやはりあって、年齢に合った場所という選択が必要だったのですね。子どもが自発的に公園で友達を見つけて遊んだり、自分が興味を持った場所に並んで体験したりできるようになったのは4〜5歳くらいからだったでしょうか。本当にたくさん失敗したし、時間もかかりました。
幼稚園を終えた現在は、何か一つやりきった感があって、それはこれから学びを終えて実践の場に送る教官のような気持ちです。きっと息子は遊びクリエーター予備軍を終えて、一人前の遊びクリエーターとして旅立つ小学一年生なのだな、と。ふと振り返ってみてこの6年の意味を知ったような、すがすがしさと納得感が得られました。
人はそれぞれ、自分のポリシーや得意不得意があり、それに基づいて日々を過ごしていると思います。毎日同じように過ごしていたり、それほど強い意図を持って選択していないと思っていた出来事も、5年10年という長いスパンで見ると自分の思考や行動指針の輪郭がくっきりと出てくるものなのかもしれませんね。自分のことを実際に振り返ってみて、とても面白い現象だなと思いました。ポイントとしては、行動を一つ一つ分析するというよりは、高いところにのぼって景色を眺めるように一望し、過去の出来事にとらわれないことです。
今後も「わたし自身の定点観測シリーズ」として、日常の様々なことを取り上げてみたいと思っています。過去の出来事をあまり深く考えずになぞっていくと、自分では思ってもみなかった軌跡が見えてきたりするものです。年輪や地層と同じで時間をかけなくては見えてこない景色というものは誰もが必ず持っていて、今この時期だからこそ自分の足跡を見ることも、また楽しい時間かもしれません。
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